カウンセリングのご案内

自分に余裕のある毎日を実現するお手伝いをいたします☆

 

強迫性障害、分離不安などで悩んでいる人はもちろん、

 

毎日が忙しい

あれもこれもやらなければ!

いつも時間に追われている

仕事、子育て、介護などで自分の時間がまったくない

職場でのサービス残業から逃れられない

いつもがんばりすぎてしまう

 

無理してるのはわかってる、身体も悲鳴を上げているのはわかってるんだけど、どうしたらいいかわからないから困ってるんじゃない!!

 

そう思いながら毎日を過ごしている方は多いと思います。


本来、仕事や家事や育児、人間関係といったものは、毎日を充実させ人生を豊かにしてくれるものです。ですが日本の人は恥や罪悪感を背負いやすく自分に厳しすぎる傾向があります。海外で15年近く暮らした経験から、日本独特の生きづらさなど、客観的な視点で見ることができるようになりました。

 

日本とそれ以外の国の考え方、とらえ方の違いなどを交えながら、どうやったら無理をせず(忙しい毎日から解放され、)余裕を持った毎日を過ごせるようになるが、アドバイスいたします。

 

注意:スキマ時間活用などの時間節約術ではありません。

 

自分に余裕ができると、パートナーや子供、友人や職場の同僚など周りの人にやさしくなれます。自分だけでなく周りも幸せになるために、余裕をもって生きられるようになるお手伝いをいたします。

 

カウンセリングはZOOMを使ったオンラインですが、電話相談も可能です☆

カウンセリング料金(税込):6000円/60分、3000円/30分

 

お支払い方法 銀行振込
*クレジット決済はまだ対応しておらず、申し訳ありませんが振り込み手数料は、お客様ご負担にてお願い致します。

 

☆お申し込みはこちらから↓
wellbeingsyoshi12@gmail.com

 

件名に「カウンセリング希望」と書き、お名前と年齢、お悩みを簡単にお知らせ頂けると当日スムーズに始められます。

 

 

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強迫性障害(OCD)や分離不安、その他さまざまな生きづらさを抱えている人へ

何年か前までは自分がカウンセラーになるなんて思ってもみませんでした。でもニューヨークで長く暮らし、人間ってみんな同じなんだと心の底から理解することができたことで、とても心が軽くなり、そうなることができたことで、同じ日本人であるみなさんにも、もっと自分に優しく軽やかな生き方を選択できるようになってほしいと思うようになりました。

 

弱くてもいい、
強くなくてもいい、
できなくてもいい、
好きなことは好き、嫌なことは嫌と言っていい、
反対にそれが言えなくてもいい、
中途半端でも、途中で投げ出してもいい、
八方美人でもいい、
他人に優しくできなくてもいい、
すぐに泣いてもいい、
要領がよくなくてもいい、
稼ぎが少なくてもいい、
仕事を休んでもいい、
自分だけ定時で帰ってもいい、
育児、家族のお世話が完璧にできなくてもいい、
いいお嫁さんでなくてもいい、

いい夫でなくてもいい、
いい親でなくてもいい、

いい子供でなくてもいい

 

日本はニューヨークじゃないから無理!と思われるかもしれませんが、日本でもそういった生き方を選んでいくことはできます。


現在の日本はすべてにおいて「きちんとしていること」が求められる(「きちんとできていないこと」で頭から否定されてしまうことが多い)国なので、強迫性障害(OCD)をはじめその他の不安症を抱えやすい土壌とも言えます。ですが、そこで苦しんでいる人が多いということは、そうでない生き方を望んでいる人が多いということでもあります。

 

生きづらさを抱えている自分に気付き、そこから少しずつ解放されていくことで、もっと自由にのびのびと生きることができます。そうすることで、周りにもやさしく生きることができるようになります。

 

このブログが、これを読んでくれている人たちの心を少しでも軽く、肩の力を抜いて生きることの助けになればと願っています。

 

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大人の分離不安 その2 幼稚園や小学校の頃

分離不安症ですが、思い返してみればいきなりそうなったわけではなく小学校や幼稚園の頃からその兆候はありました。

 

わたしの場合、分離不安症の子供によくみられる、朝、幼稚園などに行きたくなくて大泣きするということはまったくありませんでした。幼稚園や学校にはむしろ進んで通っていましたので、自分に分離不安があるなどとは思ってもみませんでした。

 

ただ、思い当たることはいくつかありました。一番印象深いのは幼稚園の頃です。病気で2週間ほど入院していたときがありました。面会に来た母が帰る時間になると毎回大泣きしていました。母は毎日会いに来てくれていたのですが。同じ部屋には違う病気で入院している子供も何人かおり、その一人に「僕より早く退院もできて、お母さんも毎日会いに来てくれてるのになんでいつも泣くの?」と言われたことを覚えています。

 

そして幼稚園や小学生ぐらいのとき、夜寝る前に「目が覚めたら高架下のお墓(自分一人で帰ってこられない場所)に置き去りにされていたらどうしよう」などと考えては不安になっていたことも覚えています。

 

さらに、家族や友達と買い物や遊びに出かけたときなど、彼らの姿が見えなくなるのが不安で行きたい方向に行けず、もどかしい思いをしていたのを覚えています。一瞬でも離れてしまったら最後、迷子になって二度と会えなくなるかもしれない……そう思うと、自分の視界の外に家族や友達の姿が見えなくならないよう、一瞬でも視界から離れることのないようにしていました。もともと好奇心旺盛な性格なので「こっちに行きたい」「あの乗り物にのりたい」と言って親や友達を引っ張っていくこともありましたが、子供にありがちな、自分から勝手に好きな方向に行くということはなかったと思います。

 

そんなことから、自分に分離不安があるとわかったときは、幼稚園の頃の入院で一時的に親と離れたことが原因だろうと思っていたのですが、カウンセラーとお話しする中で新たな発見がありました。それは4歳よりももっと前、1歳になるかならないかのとき、親戚の家に預けられていた時期がありました。両親いわく、その時のわたしは泣くこともなく、親戚の家にすんなり馴染んでいたそうです。親戚もすごくかわいがってくれたため、わたしも楽しかった思い出しかないのですが。

 

分離不安は、乳幼少期に母親(養育者)との愛着形成がうまくいかなかった場合に起こりやすいと言われています。とくに0歳~3歳までの養育者との愛着形成は、その後の心の発達、子が人生を生きていく中での「基本的信頼感」の形成にもつながってきます。

 

こんなことを書くと、分離不安は親の責任のように聞こえるかもしれませんが、一概にそうとは言えません。すべてにおいてパーフェクトな育児をできる親などどこにもいませんし、育児の過程では、環境や予期せぬ事情で親子の間にはさまざまなことが起こりうるものです。OCDの場合もそうですが、これらの不安を抱えてしまった子供の一人としてわたしが思うのは、これらの不安も自分が成長していくための課題のひとつだったと思っています。これらの不安と向き合うことで、自分の内面を深く知ることができましたし、それによって、以前よりも人の気持ちがわかる、共感できるようになりました。自分を成長させてくれたいい機会の一つだと思っています。

 

 

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大人の分離不安 その1 わたしの分離不安症

分離不安症といえば日本では子供やペットに関するものが多くみられますが、大人にももちろんあります。今回はわたしの場合を例にとって、大人の分離不安症について書いていこうと思います。

 

分離不安症とは、家族やパートナーといった自分にとってかけがえのない人が、何らかの形で突然自分のもとから消えてしまうのではないか、という不安が事あるごとに襲ってくる。その不安で身動きが取れなくなる(家族と離れられない、自分や家族の行動に制限がかかってしまう)というものです。

 

わたしの場合、前旦那が出勤するのに家を出た後、「彼に何かがあってもう二度と会えなくなってしまうのではないか?」という不安がせりあがってきていました。それも毎朝。そして前旦那が帰宅する時間帯になるといてもたってもいられずに駅まで見に行っていました。異常に心配してしまうという意識はあったのですが、OCDのときと同じく極度の心配性だと思っていました。そしてやはりOCDのときと同じく、カウンセラーの先生にそれは分離不安症(Separation anxiety disorder)だよと指摘されてようやく気付いたという経緯があります。夫が帰宅する時間に駅の改札まで見に行く。一見、ほほえましい新婚さんの風景のようですが、その時のわたしは不安と恐怖からそういう行動をとっていました。

 

旦那と離婚してから(そして結婚する前)は、両親が不安の対象でした。アメリカに住んでいたころは日本まで飛行機で13時間もかかるため、おいそれとは帰国できず、もっぱら電話で生存確認をしていました。あるときネット上で「何年かぶりに実家に帰ると家が更地になっていた」という記事を目にしたことがあり、半分冗談のような笑い話として掲載されていたのですが、当時のわたしにとってはものすごい恐怖でした。

 

生きていれば、家族やパートナーといった大切な人と何らかのかたちで離れることになることは誰しも経験することですが、分離不安の場合、その人が事故や病気になったり、自分のもとから突然消えてしまうかもしれないといった不安や恐怖が毎日のように湧き上がってくるというのが特徴です。

 

分離不安症は幼少期の親(特に母親)との関係性が大きく影響していると言われています。セラピーやカウンセリングによって不安の根本的なところと向き合うことで、解消していくことができます。

 

思い返してみると幼少期にも、自分でも気づかないところで分離不安症の兆候はありました。次はそのことについて書いていこうと思います。

 

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わたしの強迫性障害 その2

前回「わたしの強迫性障害」でお話ししましたが、具体的にどんなものがあるのか、お話ししようと思います。

 

ひとこと強迫性障害といっても確認行為、不潔恐怖、加害恐怖、儀式行為などさまざまな症状があります。わたしの場合どれに当てはまるのかわからないものもありますが、ざっと上げていこうと思います。

 

  • ·鍵、火元、メール送信、封筒、ポストに関する「確認行為」 
  • 途中で止まったり閉じ込められてしまうのが怖いのでエレベーターになるべく乗らない(閉所恐怖症ではありません)
  • 車を運転時、人や動物などをはねていないか常に気になる「加害恐怖」
  • 電気を消したり蛇口を締める瞬間、「大切な人の首が締まるのではないか、死んでしまうのではないか」という恐怖
  • スーパーなどで商品の近くを通るとき、盗んだと思われないか心配なので、なるべく商品から離れて歩く
  • 階段や歩道など決まった場所を踏まなければ気が済まない(階段のはじっこなど、転落する危険性がある場合でもやる)「儀式行為」
  • お土産など人に食べ物をあげられない(それを食べて食中毒とか死んでしまったりなどしないか心配)

などです。

わたしは不潔恐怖はまったくないのですが、人によっては不潔恐怖オンリーという方もいます。また、仏壇や道ばたのお地蔵さんを見ると手を合わせなければいられない人(縁起恐怖)などもいます。

 

エレベーターに関しては日本に帰国した時点で不安は解消しました。というのもニューヨークでは建物が築100年以上と古く、エレベーターの保守も信用できなかったためです(仕事には常に真摯な姿勢が求められる日本とは違い、まじめに働くという意識が人によって全然違うので、さぼる人もたくさんいるため)。じっさい閉じ込められて40分ぐらい出てこれずに怖い思いをした友人もおり、その頃わたしは10階にあった仕事場まで階段を歩いて上っていました。仕事を選ぶ際もオフィスが何階にあるかはわたしにとっては確認必須事項でした。

 

特徴的なのは、「儀式行為」をすることで遅刻や身に危険が及ぶとわかっていながらも、やらなければ気が済まないという点です。行為をすれば一時的に気は済むのですが、次の瞬間には「ほんとに大丈夫なの?」と不安が頭をもたげてくるというループの繰り返しになってしまいます。

 

極度の心配性という性格と思っていたため、誰かに相談することもありませんでした。自分でも「心配が現実になることはほとんどありえない」とわかっているだけに、言うのが恥ずかしい、言っても理解してくれないだろうと思っていました。


確認行為に関してはわたしはいろんな不安を持っていましたので、次ではその詳細についてお話ししようと思います。

 

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ニューヨークの地下鉄の話(ちょっと汚い話もあります)

ニューヨークの地下鉄(サブウェイ)に関して、もう少し詳しく書いていこうと思います。

 

90年代以前までは「すごく危険!」と言われていたNYの地下鉄ですが、わたしがいた2006-2020年ごろには、ほとんど日本と同じ感覚で普通に利用できるようになっていました。サブウェイは主にマンハッタン島とその北のブロンクス、東のクイーンズ、ブルックリンのあるロングアイランド島を繋いでいます。ブロンクスより北のアップステートに行く場合はメトロノース、クイーンズより東のロングアイランドに行く場合はLIRR(ロングアイランドレイルロード)、西のニュージャージーに行く場合はPath Trainを利用します。

クイーンズの高架上を走る7番線。
夕闇の中にロックフェラーセンタービルが見えます。

MTA(Metropolitan Transportation Authority)によって運営されており、その歴史は100年以上(1904年開業)に上ります。基本的に24時間稼働のため色々なところにガタが来ているようで、MTAの作業員さんたちはその都度メンテや修理を行っています。メンテナンスは利用客の少ない夜中にするので、夜中は本数がぐんと減ります。ちなみに車両は日本製(川崎重工)で、車両内部にもそれを示すプレートがあり、初めて見つけたときは感動しました。

 

「ほとんど日本と同じ感覚で」と書きましたが、駅によっては危険な雰囲気の場所はあるので、そんなときはなるべく駅員さんが常駐しているエリアにいるようにしたほうがいいです。


サブウェイのホームや線路はストリートと同じくとても汚いです。そしていろいろなものが落ちています。紙くずや新聞紙、お菓子の袋、衣類、靴、食べかけの食事、車内では飲みかけの紙コップの中身がこぼれて液体がたれ流れていたり、ペットボトルの場合は車両内をゴロゴロ転がったりしています。ピーナツの殻やスナック菓子が散乱していたりすることもあります。雨の後などは線路が水浸しになっていたりもします。

地下鉄のホーム(タイムズスクエア
コロナ渦中のものなので人が異様に少ないです。

車内がガラガラでラッキー!と思ったら、
ホームレスの人が寝ており車内全体がとても臭かったりなどもあります。

そしてここから少し汚い話になりますが、たまに見かけるのが黄色い液体の入ったペットボトルです。


ニューヨークの地下鉄の駅にはトイレがありません(ある所もあるけどすごくレア)。列車の本数が減る夜中はホームで待てど暮らせど電車が来ず、しまいにはトイレに行きたくなってしまったことがあります。別の路線の乗り換えも遠いため、地下鉄の外に出て近くのガソリンスタンドでトイレを借りようとしたらオーナーがお祈り中(ムスリム)で気付いてもらえず、切羽詰まりながら別のお店を探し、そこで借りて事なきを得たということもあります。

以前から黄色い液体入りのペットボトルは見かけていたのですが、そんな体験を経て、ペットボトルの主(たぶん男)はわたしと同じような体験をしながらトイレに間にあわなかったんだろうと想像できるようになりました。ちなみに、黄色い液体入りペットボトルはストリート(主にマンハッタン)でも見かけることがあります。

 

 

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LGBTQの方のカミングアウトを見て思うこと

最近、芸能人やセレブの方が自らの性自認性的嗜好をカミングアウトされるのをよくみかけます。彼らを見るとき、わたしは希望にあふれたような、心から応援したい気持ちになります。

 

セクシャルマイノリティではない自分がなぜそんな気持ちになるのだろうと考えてみたところ、それは「自分自身を自由に表現して生きる」ことを決意した彼らから勇気や希望をもらえるからだと気付きました。それは他でもないわたし自身がNYで学んだことでもありました。


日本ではセクシャルマイノリティの方々に対する理解はNYほど浸透していません。加えて日本では「こうでなければ」という無意識の制限がとても多く、「ふつう」「常識」「あたりまえ」という大多数のスタンダードから外れていると、「ふつうでない」とネガティブなイメージを持たれてしまう傾向があります。しかし、様々なバックグラウンドを持つ人々が共に暮らしているNYでは「ふつう」はほとんど存在しません。

 

そういった環境の中で過ごす毎日は、「こうあらねば」などの枠の中で判断を下されてしまうのが「ふつう」と思い込んでいた自分を開放してくれました。同時に、みんな違うけど、同じ。だから「自分もそのままでいい。自分のままで何の問題もない」という根本的な部分(自分を無条件に愛する、許す)に気付く(学ぶ)ことができました。

 

「ふつう」がないため「大人として」「社会人として」という概念も日本よりとてもゆるいです。そのぶん職場でも感情的に振舞う人が多いので、それに対処しなければならない大変さもありますが。体や心が弱くてもいい、「強くあらねば」と強くなることを強要されることもない。仕事で、勉強で、わからないことがあるからといって非難されることもない。困ってるときに助けられたらうれしいし、誰かが困っていたら助けようと思う。ひどいことをされたら悲しいし、自分も人にやさしくしようと思う。宗教や政治的なポリシーが違っていても、人間として根本的なところは同じ、なのでわかりあうことができる。そんな場所で長く暮らしていました。

 

あるときカザフスタン人のルームメイトが言いました。彼はゲイでしたが、「NYでは自分の国とは比べ物にならないほど自由を感じることができる」。アメリカでもLGBTQの人たちへの差別はあります。しかし同時にマイノリティの方々への理解も浸透しており日本よりもオープンな雰囲気があります。NYでは全米でも最大規模のLGBTQ権利擁護のためのパレード「プライドパレード」が毎年行われています。そこで彼らは、色とりどりのメイクや衣装に身を包んで思いきり自分を表現しています。そんな環境で暮らす中で、「ふつう」という概念はその土地にいるマジョリティ(大多数)の人たちが勝手に作り上げた妄想に近いものだと気付くことができました。

 

日本ではまだセクシャルマイノリティの方々に対する認識や理解はNYほど浸透してはいませんが、そんな中でカミングアウトをされる方々を見ると、すごく前向きで希望にあふれた気持ちにさせられます。日本もだんだんひとりひとりが自分のままで生きていける世の中に近づいてきているのだと感じます。

 

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