湧き上がる「不安」は「毒」のようなもの(大人の分離不安症)

最近のわたしの分離不安に対する感想です。


悪魔のささやきともいえるかもしれない。なぜなら、それによってなんの問題もないところに「問題」を生じさせてしまうから。

 

違うとわかっていても、大丈夫とわかっていても、じわじわむしばんでくる。そんなことない、大丈夫だと頭ではわかっているその理性がまったく効かない。それどころか、問題のない事実も「問題」として捉えて(反応して)しまうことで、しまいには自分自身で問題を創り出してしまう結果になります。

 

人間は一日に七万回も思考を繰り返していると言われています。考えすぎてしまうことで、本来単純で悩む必要なんてないような物事を、複雑にしすぎてしまう傾向にあります。特にわたしたち日本人は、不安を制御するセロトニンに関係する遺伝子が少なく不安を感じやすい傾向にあると言われています。

 

なので対処法は、考えないこと。不安の対象を「問題」だと思わないこと。そもそも問題は存在しないと自分でわかること(頭だけでなく感覚的にも)。

 

分離不安症の不安は、幼少期などに形成される「他者への基本的な信頼」の構築が不十分だったことにあります。なので、本当の問題は「他者への根本的な信頼がもてない」という自分の中にあるものです。今感じている「家族やパートナーなど大事な人たちが、いなくなってしまう」という「問題」はほんとうは頭の中にだけある不安で、「問題」ですらないのです。

 

不安をどうにかしようとあれこれ考えていると、逆にその不安に執着してしまうことになります。なので、できるだけ別の方向に気を持っていくようにして、不安に取り込まれないようにする。


その不安が根拠のないものだということは自分がいちばんよくわかっているはずなので、がんばって(ほんとはがんばらなくてもいいんですけどね、問題はほんとは存在しないんですから)気持ちを別の物事(なるべく楽しい事)に持っていってみてください。

 

今日の晩御飯は何を食べようかな、とか、今度の休みは何して過ごそうかなとか、今度の旅行楽しみだなとか。それができない方は、今自分がしていることや動作自体(歩いているときは足を運んだり地面を踏みしめる動作など)に意識を持っていくことからはじめてみてください。そうすると、いつのまにか、自分をいつもを悩ませている不安はほんとは心配する必要なんかなかったもの(不安そのものが不必要)だったんだと、いわゆる普通の感覚が戻ってきます。

 

分離不安だけでなく、強迫性障害などの不安にも言えることなのですが、不安になってるときというのは、根拠のない「不安」に支配されてる状態にありますから、その支配から抜け出せている状態をなるべく長く保つようにすることがいちばん効果的だとわたし自身の経験から感じています。

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