大人の分離不安 その4 具体例
日常生活での大人の分離不安症について、今回もわたしの例をもとに見ていこうと思います。
彼の実家に遊びに行った時のこと、みんなで夜ご飯をごちそうになっていたとき、彼がトイレに立ちました。が、いつまでたっても帰ってきません。食卓で彼のお母さんやお父さんと会話を続けつつ、おなかの調子でも悪いんだろうとしばらく待っていましたが、あまりに長すぎます。
お母さんたちは1ミリも気にする様子はありません。家の中だし他にどこに行くところがあるんだという感じなのでしょう。そんなことすら思わないほど気にもしていない様子。しかし、わたしの不安は増大してきます。お母さんたちと他愛のない会話を続けつつ、その後もしばらく待っていましたが、やっぱり帰ってきません。なのでトイレに様子を見に行ってみることにしました。お母さんたちはわたしが席を立ったとき、そういえば遅いわねと感じたようでした。
トイレで呼び掛けても返事がありません。電気がついてなかったので思い切って扉を開けてみるとおらず、不安がせり上がってきます。二階のトイレも確認しましたが、そこにもいません。「いきなり消えるわけでもなし、どこかにはいるだろう」とか「ここは彼の家なんだし、夜だし出かけたとしても近くのコンビニとかでしょ」という普通の感覚は頭の隅にはあるのですが、不安の方が強く、そこでパニックになりました。
置き去りにされたような感覚と、このまま二度と会えないのではないかという恐怖にいてもたってもいられません。外へ出て探し回りたい衝動にかられ、彼の靴を確かめに玄関に降りていきます。(そこでもお母さんたちは心配する様子もなく食事をつづけています)
玄関にに行ったものの、彼の靴とお父さんの靴の区別がつかず、またパニックになり、そのまま玄関から飛び出しそうになりました。
分離不安が来たなというのは頭ではわかっています。なので、外なんかに行く必要はないこともわかってはいるのですが、不安に取り込まれてしまっています。やっぱり自分は一生一人なんだ。誰かとずっと一緒にいられることなんてないんだ。という心の声みたいなのが頭を駆け巡ります。
わたしの場合ですが、分離不安の状態になると「人間がいきなり消えるわけがない」という感覚がわからなくなります。いちど「家族や彼のことを信用していないのか」と聞かれたことがありますが、そういう次元の話ではないのです。
そのとき、彼の部屋を確認していなかったのを思い出しました。行ってみると、暗がりのベッドの上で彼が横になっていました。具合が悪くなったのでベッドで休んでいたそうです。
ふつうだとそこで「具合が悪い」ことの方に心配がいくと思うのですが、彼がちゃんといた」ことに安心したわたしは全身の力が抜けたようになり、ただひたすら安堵したのでした。安心しすぎてその後も彼が具合が悪いと言ったことをスルーしっぱなしでした(ただの食べ過ぎだったようですが)。
と、こんな具合に、日常生活の何気ない部分で不必要な不安に悩まされることになります。
英会話 I was like ~ の使い方
わたしはオンラインで英会話も教えているのですが、生徒さんからこんな質問がありました。
I was like~ってどういう意味ですか?
Youtube動画を観ていて、
「I was like "Don't worry!"」という会話が出てきて、
訳を見ると「わたしは"Don't worry!と言った」としか書かれてなかった。
なら、「I said "Don't worry!"」にならないんですか??と。
I was like~は わかりやすく言えば
「~って感じだった」です。
厳密に訳すと「わたしはその時~って感じだった」かな。
なので、
「わたしは "Don't worry!"って感じだった」は
I said "Don't worry!" もしくは
I was like "Don't worry!" になります。
ただ、後者の方がその時の会話の雰囲気がよく伝わります。
例えば、
「そのときわたしすごいびっくりして、OMG!ってかんじだった」
→”I was so surprised at that time. I was like OMG!”となります。
I was なので過去の自分はこんな感じだった(こう言った、こう行動した、など)、と言いたいとき
”I was like~”と表現します。
ネイティブの雑談ではものすごく出てくる表現です。
他にも、他人の反応を表現するときに
She was like
He was like
と、使えます。
電車の中で聞こえてくる会話なんかは、ほぼこの表現のオンパレードだったりする時も。
例えば、
こないだ上司に三日間お休みいただきますって言ったら「あ~、」って微妙な返事をされたよ。
↓↓
I asked my boss that I need three days off.
And He(She) was like "Ahh...."
会話なので「微妙な返事」は"Ahh...."の部分で上司のモノマネをするなどして表現します(笑)
湧き上がる「不安」は「毒」のようなもの(大人の分離不安症)
最近のわたしの分離不安に対する感想です。
悪魔のささやきともいえるかもしれない。なぜなら、それによってなんの問題もないところに「問題」を生じさせてしまうから。
違うとわかっていても、大丈夫とわかっていても、じわじわむしばんでくる。そんなことない、大丈夫だと頭ではわかっているその理性がまったく効かない。それどころか、問題のない事実も「問題」として捉えて(反応して)しまうことで、しまいには自分自身で問題を創り出してしまう結果になります。
人間は一日に七万回も思考を繰り返していると言われています。考えすぎてしまうことで、本来単純で悩む必要なんてないような物事を、複雑にしすぎてしまう傾向にあります。特にわたしたち日本人は、不安を制御するセロトニンに関係する遺伝子が少なく不安を感じやすい傾向にあると言われています。
なので対処法は、考えないこと。不安の対象を「問題」だと思わないこと。そもそも問題は存在しないと自分でわかること(頭だけでなく感覚的にも)。
分離不安症の不安は、幼少期などに形成される「他者への基本的な信頼」の構築が不十分だったことにあります。なので、本当の問題は「他者への根本的な信頼がもてない」という自分の中にあるものです。今感じている「家族やパートナーなど大事な人たちが、いなくなってしまう」という「問題」はほんとうは頭の中にだけある不安で、「問題」ですらないのです。
不安をどうにかしようとあれこれ考えていると、逆にその不安に執着してしまうことになります。なので、できるだけ別の方向に気を持っていくようにして、不安に取り込まれないようにする。
その不安が根拠のないものだということは自分がいちばんよくわかっているはずなので、がんばって(ほんとはがんばらなくてもいいんですけどね、問題はほんとは存在しないんですから)気持ちを別の物事(なるべく楽しい事)に持っていってみてください。
今日の晩御飯は何を食べようかな、とか、今度の休みは何して過ごそうかなとか、今度の旅行楽しみだなとか。それができない方は、今自分がしていることや動作自体(歩いているときは足を運んだり地面を踏みしめる動作など)に意識を持っていくことからはじめてみてください。そうすると、いつのまにか、自分をいつもを悩ませている不安はほんとは心配する必要なんかなかったもの(不安そのものが不必要)だったんだと、いわゆる普通の感覚が戻ってきます。
分離不安だけでなく、強迫性障害などの不安にも言えることなのですが、不安になってるときというのは、根拠のない「不安」に支配されてる状態にありますから、その支配から抜け出せている状態をなるべく長く保つようにすることがいちばん効果的だとわたし自身の経験から感じています。
恐怖がない世界ってどんなだろう
「不安」や「恐怖」の感情に対してとても効果的なワークを見つけたのでシェアします。
阿蘇湧真さんがおっしゃられていたワークです。
彼はYouTubeなどを通して、自分らしく軽やかに生きていくアドバイスを発信されている方で、いつも丁寧に説明されるのでとてもわかりやすいです。
その中でおっしゃられていたのが、「恐怖のない人生」に意識を向けて、それを書き出してみるというものです。
”朝起きて、いっさいの不安や恐怖がなくなっていたら、1ミリもなくなったら、みなさんはどうしますか?
生きていくうえで、全く恐怖がなかったら、朝起きて朝ごはんを作りながら、出勤、通学しながら、どんなことを感じるでしょうか?
1日が楽しみで仕方がなかったり、真実を伝えることに躊躇がない、人を愛することに恐れがない、など。
恐怖がないということは「影響されない」ということです。そうなると、どんな人や出来事に出会っても、何を言われたとしても、そこから感謝や学びを感じ取ることができます。
「不安」や「恐怖」というバイブレーションを挟まずに生きてみる。すぐには無理かもしれませんが、「そこに行きたい!」と思ったら、ワクワクしながら恐怖を手放してみる。コツは「嫌だから手放す」ではなく、自分はそちらの方に行きたいから手放す。”
このワークをやったとき、わたしはとても安らぎを感じました。いつも自分の中にある、ありすぎて意識すらしなくなっている身体のこわばりが、消えていくのを感じました。
「不安」や「恐怖」というものはたいていが自分自身が作り出しているものなので、それらから離れようと思えば離れることはできます(コツはいりますが)。毎日少しずつその練習をしていくことで、そこから自由になることができます。
わたしたちは多かれ少なかれ、自分を守るためにいつも神経を張り巡らせて生きています。でも、ほんとうはそんなことをする必要はない、世界は安らぎと感謝に溢れていて、大いに生きるに値するところだと気付かせてくれます。
朝起きたときに、朝じゃなくてもいつでも気付いたときに、ぜひ1分でもいいので時間を取ってやってみてください。
「朝起きられない自分はダメ」じゃない!遺伝子によって決まる朝型と夜型
「早寝早起」「早起きは三文の徳」「朝活」とよく言われますが、どうしても朝は苦手、という方も多いのではないでしょうか?
わたしは一日の中でいちばん体の調子が悪い時間帯が朝です。朝ごはんなど食べられる状態ではなく、バナナやみかん、トマトひとかけぐらいしか口にできません。
旅行先でせっかく無料の朝食が付いているホテルも8時半や9時までの朝食の時間に間に合わなかったり、10時のチェックアウトもヒヤヒヤするので、チェックアウト時間の遅いホテルを選ぶようにしたりしています。無理なものは仕方がないと思いつつ、「朝活」という言葉に羨望と劣等感を抱き、それにフィットしない自分がおかしいんだ。何かしらの矯正が必要なんだと思ってきました。
しかし、最近では「朝方」や「夜型」は遺伝子によって決まることが明らかにされています。
「概日リズム」ともいわれる人間の体内時計のサイクルですが、イギリスの研究グループが『Nature Communications』に発表した内容によると、そのサイクルは351個ある「時計遺伝子」の数によって「朝方」か「夜型」かが決まるという結果が出ています。さらに、朝型と夜型では光の量を検知するメカニズムも異なるそうです。
朝方、夜型、中間型など、体内時計のタイプ(クロノタイプ)がわかる質問紙(Munich ChronoType Questionnaire: MCTQ)
https://www.sleepmed.jp/q/meq/meq_form.php
また、年齢によってもそのリズムは移行するといわれており、子供は「朝型」→思春期から30歳ぐらいまでは「夜型」→それ以降は「朝型」へと戻っていくそうです。
社会的な活動が「時間」によって管理されはじめたのは産業革命以降です。特に労働に「効率」と「生産性」が重視されはじめた19世紀当初は大人も子供も昼夜問わず12時間以上の労働で、労働時間の見直しが繰り返し行われてきた結果、現在の8時間労働につながっています。ですが朝の9時から夕方の18時を中心にした現代のライフスタイルは朝型に有利で、強制的に朝型に合わせた生活を余儀なくされている夜型の人は常に時差ぼけ状態にあるといわれています。
さらに、夜型の人が無理に早起きをすることで健康を損なう恐れさえあるともいれています。
これまでは朝起きられないことに対して「甘えている」「意志が弱い」「努力が足りない」などと言われてきましたが、夜型に対する偏見もこの研究結果によって見直されていくことになると思います。
朝中心の活動が推奨されがちな現代においてフレックスタイムなども徐々に取り入れられつつありますが、さまざまな睡眠パターンに対応した、その人の能力が最大限発揮される勤務時間が尊重されるようになればいいですね。
わたしの強迫性障害 『確認行為』おうち編
強迫性障害のひとつ確認行為について、一口に確認行為といってもさまざま例があるので、わたしの場合を例にあげて説明してみようと思います。
火元:外出時に火事にならないようにガスの元栓を締め、冷蔵庫以外はコンセントをすべて抜く(Wifiも)。コンセントに関しては、抜いた後でもプラグに火がつくのではないかと思ってしまうため、本やじゅうたんなど燃えやすいものと離しておく。
コンセントやWiFiがそんな簡単に発火したら毎日どこかで火事が起こってるだろ! と自分につっ込みながら「万が一」の恐怖からぜんぶ抜いていく。
太陽:窓などから入る太陽の光で紙などが燃えないようカーテンを閉める。
水道:蛇口を締めるのは当たり前ですが、しめた後もほんとにしまっているか、水漏れがないかを確認。
電気:照明などを消す際、パチッと消した瞬間に大切な人の首が締まるのではないか、心臓が止まるのではないか、という考えが頭に浮かび、そうならないように納得できるタイミングで消せるまでON,OFFを繰り返す。
車:運転中、人や動物などをはねていないか常に気になる。そんな大きなもんはねたら衝撃ですぐわかるだろ!と自分につっこみながら運転。駐車場では駐車した後、何かが車の下敷きになってないかを確認するために車の下を確認。
たまに実家の両親と外出した際、「いま人はねなかったよね?」と聞くわたしに、事情を分かってる両親は「はねてないはねてない」と軽くあしらってくれていました。
わたしの場合、戸締りや鍵に関してはあまり気にはならず「火事を起こして周りに被害を出す」ことの方が恐怖が強いようです。車の例から見てみても加害恐怖がいちばん強いように思えます。
大人の分離不安 その3 家族やパートナーに対して
この記事では、大人になってからの分離不安症をわたしを例にとって書いていきたいと思います。
わたしの場合、パートナーが待ち合わせ時間に遅れたり、メールの返事が遅いだけでいてもたってもいられなくなります。
嫌われたのかな?ぐらいの不安は誰にでもあると思うのですが、どこかで事故に遭ってるんじゃないか、そしてこのままもう二度と会えないんじゃないだろうか、と増幅していきます。そしていてもたってもいられなくなった結果の行動が、その1で書いた「駅まで見に行く」という行動です。
「好きな人と待ち合わせ」なんてすごく楽しく、待つことも楽しみの一つのはずなのに。
一日が終わり「またね」と言って別れるころには「このまま二度と会えなくなるんじゃないか」という恐怖がじわじわ襲ってきます。帰宅しても楽しかった一日を思い出して幸せに浸るということはなく、帰りにパートナーが事故などにあっていないか新聞やネットニュースをチェックし、救急車や消防車が通ると彼が歩いて行った方向でないかを確かめます。
離婚してひとりの生活になると、不安の対象が両親へ移ります。
両親が二人同時に事故に遭ってほしくないので、二人で(特に車では)出かけないでと言ったこともあります。両親が二人で出かけて帰宅する時間帯になると、無事に帰ってくるか心配でそわそわし始めます。どちらか一人がいるとそうでもないのですが。
日が暮れはじめる帰宅時間、薄暗くなった誰もいない家に一人で待っている時がすごく寂しく不安だったのを覚えています。「もうすぐ帰ってくる」というウキウキ感ではなく「いつまでも帰ってこなかったら」という恐怖に支配されています。
アメリカに在住していた頃は、その1でも書きましたがすぐに確かめに帰ることはできないのでもっぱら電話で生存確認をしていました。
そして新たにパートナーができると、待ってましたとばかり対象がパートナーに移ります。
この流れが予測できるので「また不安がくるんだろうな」とわかるのですが防ぎようもありません。
ふしぎなのはOCDと同じく、過去にそういう出来事に遭遇した経験はないのに不安が湧き上がってくる点です。客観的にはたいして問題もない、むしろ幸せな日常なのですが。
心の奥底になんの根拠もなく根ざしている「大切な人はいずれ自分のもとから去っていく」「自分は結局一人ぼっち」「誰ともつながれない、そういう運命なんだ」などというおかしな信念に支配されてしまっています。
その2でも書きましたが、分離不安は特に乳幼児期の養育者との愛着形成がうまくいかなかった場合に発生します。
過去の自分と繰り返し向き合い、自分自身を癒していくことで克服していくことが可能です。