大人の分離不安 その3 家族やパートナーに対して

この記事では、大人になってからの分離不安症をわたしを例にとって書いていきたいと思います。

 

わたしの場合、パートナーが待ち合わせ時間に遅れたり、メールの返事が遅いだけでいてもたってもいられなくなります。
嫌われたのかな?ぐらいの不安は誰にでもあると思うのですが、どこかで事故に遭ってるんじゃないか、そしてこのままもう二度と会えないんじゃないだろうか、と増幅していきます。そしていてもたってもいられなくなった結果の行動が、その1で書いた「駅まで見に行く」という行動です。
「好きな人と待ち合わせ」なんてすごく楽しく、待つことも楽しみの一つのはずなのに。

 

一日が終わり「またね」と言って別れるころには「このまま二度と会えなくなるんじゃないか」という恐怖がじわじわ襲ってきます。帰宅しても楽しかった一日を思い出して幸せに浸るということはなく、帰りにパートナーが事故などにあっていないか新聞やネットニュースをチェックし、救急車や消防車が通ると彼が歩いて行った方向でないかを確かめます。

 

離婚してひとりの生活になると、不安の対象が両親へ移ります。
両親が二人同時に事故に遭ってほしくないので、二人で(特に車では)出かけないでと言ったこともあります。両親が二人で出かけて帰宅する時間帯になると、無事に帰ってくるか心配でそわそわし始めます。どちらか一人がいるとそうでもないのですが。
日が暮れはじめる帰宅時間、薄暗くなった誰もいない家に一人で待っている時がすごく寂しく不安だったのを覚えています。「もうすぐ帰ってくる」というウキウキ感ではなく「いつまでも帰ってこなかったら」という恐怖に支配されています。
アメリカに在住していた頃は、その1でも書きましたがすぐに確かめに帰ることはできないのでもっぱら電話で生存確認をしていました。
そして新たにパートナーができると、待ってましたとばかり対象がパートナーに移ります。

 

この流れが予測できるので「また不安がくるんだろうな」とわかるのですが防ぎようもありません。

ふしぎなのはOCDと同じく、過去にそういう出来事に遭遇した経験はないのに不安が湧き上がってくる点です。客観的にはたいして問題もない、むしろ幸せな日常なのですが。
心の奥底になんの根拠もなく根ざしている「大切な人はいずれ自分のもとから去っていく」「自分は結局一人ぼっち」「誰ともつながれない、そういう運命なんだ」などというおかしな信念に支配されてしまっています。

 

その2でも書きましたが、分離不安は特に乳幼児期の養育者との愛着形成がうまくいかなかった場合に発生します。
過去の自分と繰り返し向き合い、自分自身を癒していくことで克服していくことが可能です。

 

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