日本とアメリカ、年齢に対する意識の違い

日本に帰ってきて仕事探しをする際、履歴書に写真や年齢、性別を記載する欄があるのに驚いてしまいました。

 

20代前半までは日本で働いていたので、履歴書のことは知っていましたが、いまだに存在していることに驚きました。アメリカでは年齢、性別、写真(容姿=人種)は明らかに差別につながる要素なので履歴書(レジメ)には記載しません。一方、日本では未だにこの三要素、とくに年齢と性別の記載を求められる機会がすごく多いことに驚きます。

 

性別に関しても、日本でもLGBTQやジェンダーに関する認識が深まりつつあるにもかかわらず、いつまでたっても「男性」「女性」の二つの表記しかなかったり、「性別を選択しない」「どちらでもない」という選択肢が与えられていなかったり。特に年齢は、アメリカでは選挙権、飲酒や喫煙、13歳未満の子供を一人にしない(ネグレクト防止)など法的なこと以外はそれほど気にされることはないので、日本で気にさせられる機会の多いことに驚かされます。

日本に帰国して間もないころ、お部屋探しでニューヨークと同じ感覚でシェアハウスに応募しようとしたことがありましたが、その時の募集要項に25歳までという記載があって驚きました(ちなみに私は40代です)。家賃の高いニューヨークではシェアがふつうですが年齢制限などはありません(募集する側が出会いを求めている場合などは別ですが)。80代の家主と10代の借主がシェアとかも普通にあります。

 

日本にあってアメリカにない年齢意識を挙げてみました↓↓

  • テレビのインタビューなどに〇〇さん(32)など年齢表記がある。
  • 「いい歳をして」「もう大人なんだから」という批判をよく聞く。
  • この年齢だからこの色の服は着られないなど無意識的な制限がある
  • アラサー、アラフォー、オジサン、オバサン、オッサン、ジジイ、ババアなど「年を重ねる」ことにネガティブさを感じさせる言葉がものすごく多い。
  • 20代なのに「もう若くない」と言っている人を見かける

日本では、20代はこう、30,40代はこう、などといった固定観念が強いように思います。目上の人に敬意を払うという儒教的考え方や、敬語を使う習慣があるので、その影響もあるんだと思いますが。

 

アメリカでは基本、年上の人に敬語を使うという習慣がありません(敬語にあたる表現自体は存在しますが)。なので、年のすごく離れた人とフレンドリーに会話するなんてことも日常茶飯事です。年が離れていても気の置けない友達ができやすいです。

 

かくいうわたしも初対面の人には「この人何歳だろう?」と思ってしまったりするのですが、自分はやっぱり日本人だなあと実感します。

 

あと、「もう大人なんだから」という観念も日本ほどないため、会社勤めをしている大人でもふつうに超わがままだったり、無責任、感情が丸出し(笑)な人が多いです。一緒に仕事をするのは大変ですが、そのぶん、他人のそれに対しても寛容なので、ほっとすることも多かったです。

 

そういう違いを知っていくと、日本人がいかに世界の中でも周りの人の目を気にして自分を押し殺してしまう民族かということがよくわかります。

 

どちらにも良い面、悪い面がありますが、アメリカではいくつになっても自分自身を謳歌している人が多いですし、周りに寛容でのびのび生きることができるのは、日本人としては見習いたいところですよね。

 

飛行機恐怖症の人の旅行と移動手段(ニューヨーク発)

わたしは飛行機恐怖症です。

なので飛行機に乗るときはいつも死ぬ覚悟(あるいはそれに近い覚悟)をしなければならないという制約があるため、ニューヨーク在住中も旅行は出来る限り陸路か海路を選んでいました。

 

テネシー(元旦那の故郷)→車 or グレイハウンドバス
ボストン →車
ワシントンD.C →車
フロリダ、バハマ →船
日本 →船
その他、ニューヨーク州内(州が大きいので飛行機が普通) →車

 

これだけか。。。

 

15年ほど住んでた割には、ほとんどどこにも行ってないですね(苦笑)

 

日本=船とありますが、飛行機が怖すぎて一度だけ船で太平洋を横断したことがあります。全行程25日ぐらいかかりました。

行程は:ニューヨーク🚃シカゴ🚃シアトル🚃バンクーバー🚢アラスカ🚢北海道(室蘭)

 

東海岸はヨーロッパが近いので一度行ってみたいとは思っていたのですが、一回も行かずじまい。ニューヨークはヨーロッパ系の人たちも多いので、住んでるだけでも色々出会いがあるし別にいいやと自分を慰めていた気がします。

 

 

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時刻表がないニューヨークの地下鉄

別のブログ(https://syoshiko0212.hatenablog.com/entry/2023/04/11/093157)で時刻の話をしましたが、ご存じのとおり日本人は時間にものすごく正確なことで世界でも有名です。分刻みの列車は時刻表通りに来ますし、時速300キロの新幹線ですら10分おきに発着するのには脱帽してしまいます。

 

ニューヨークの地下鉄の駅には時刻表がありません。

正確には時刻表は存在するのですが、ホームに表示がありません。ここ3、4年で列車が前の駅を出発したことを示す電光掲示板が設置されましたが、それ以前は列車の到着を知らせる案内など皆無でした。時刻表があったとしても、ニューヨークの地下鉄ではあまり意味がないように思えます。

 

始発駅を時間通り出発しても、乗客の駆け込みやその人を乗せてあげるためにドアをホールドする人がいたり、車掌さんが別の職員さんとおしゃべりしたりなどで、どんどん遅れていったりします。ドアをホールドする人は駆け込んできた人を乗せてあげようと善意でやっているため、非難する人は誰もいません。一人が駆け込むと他の人も次々と駆け込んでくるためいつまでたっても発車できないという事態になり、車掌さんが「Stand clear the closing door!(ドアの周りから離れて) 後続列車はすぐ後ろにいますのでそれに乗ってください」と叫んだりしています。遅れを取り戻すために、各駅で停車していた列車(local)がいきなりExpress(特急?)に変わり、次の駅で降りられなかった乗客がイラついたりすることもあります。ラッシュアワーなどは前の電車も遅れているため、後続電車が線路上でずっと停止していたり、たまにそのまま動かなくなって線路脇の作業用通路を駅まで歩かされたりということもあります。ドアも、降車の際、故障で片側しか開かないなどは日常茶飯事です。

地下鉄だけど7番線は主に高架上を走ります。奥の駅がQueensboro Plaza駅、その奥のQueensboro Bridgeの向こうがルーズベルト島とマンハッタン島

それでもビジネスタイムは5~10分おきに電車が到着しますが、列車の本数が減る夜中などは少し問題です。いつ来るかわからない電車をただひたすら待つことになります。


混んでいるのに1車両だけ誰もいないスカスカの車両があり、ラッキーと思って乗ってみたらホームレスの人が寝ていて車両中がものすごく臭いとか、乗客一人一人の前まで迫って物乞いをしにくる人や、ストリートパフォーマーが乱入してきたり、パフォーマンスが素晴らしかった場合は乗客みんなで拍手喝采や合唱したりなど。

 

いずれも日本では考えられないことばかりですが、時間や人の言動に厳格な日本とユルすぎるニューヨーク、対照的な例を目にしているだけに双方の「常識」(様々な国の人が集まるニューヨークでは「常識」はほぼ無いともいえますが)の差や違いが興味深いです。

 

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わたしの強迫性障害

以前、飛行機恐怖症のお話をしましたが、飛行機恐怖症と関係してると思われる思考癖があります。それは『強迫性障害』です。

 

それまでは極度の心配性だと思っていました。

大学生の頃、お総菜屋さんでアルバイトをしていたのですが、閉店時にガスの元栓や電気を消すという作業に何分もかかっていました。「消した、閉めた」と頭ではわかっていても、指さし確認、果てはチェックリストを作って一つ一つチェックマークをつけても納得できないという心配ぶりで、普通の人が1分程度で完了できることを30分ぐらいかかってしまうこともあり、どうしてこんなに極度の心配性なんだろうと思っていました。

 

渡米して前旦那と結婚し、関係がうまくいかずにMarrige counseling(結婚カウンセリング? 夫婦で一緒にカウンセリングを受けるもの)を受けたとき、ドクターに何気なく心配性な性質を話すと「それは『OCD=Obsessive Compulsive Disorder(強迫性障害)』ね」と言われました。

いまから10年以上も前のことで、日本では『強迫性障害』という名称すらメジャーではなく(当時は「強迫神経症」という名称だった気がする)、ネットで「OCD」と調べても日本語の詳しい記事などはなかなかヒットせず、混乱したのを覚えています。
診断テストはほぼすべて当てはまり、「これ、ぜんぶわたしのことやん。。。」
それで極度の心配性だと思っていた自分の思考癖が強迫性障害なのだと判明しました。

 

強迫性障害は、不潔恐怖、加害恐怖、縁起恐怖など人によってそれぞれなのですが、共通しているのは「〇〇しなければ△△になってしまう!!」という強迫観念が頭から離れないことです。

わたしの場合、確認行為(外出前の鍵や火元を確認しまくる)、儀式行為(意味のない行為なのに、それをしないと大切な人に不幸がおこってしまう!という不安が頭をはなれない)、加害恐怖(道を歩いていて人にぶつかって怪我をさせてしまうのではないかという心配が頭から離れない)などがありました。

 

飛行機恐怖症とも関連していると考えるのは、たとえ0.1%(0.00000000001%でもいい)でも可能性があると安心できないところです。飛行機は乗り物の中でも事故率が低いと言われていますが、墜落したらほぼ確実に死ぬという恐怖があるため、その可能性がゼロでない限り安心できないのです。

 

自分が納得するまで徹底的に確認、検証しなければ気が済まないという癖があるため、
安心しようとして情報を徹底的に集めた結果、悪いニュースにばかりに目が行ってしまい、さらに心配が増すという悪循環に陥ったりします。

不安を取り除こうとして行う確認行為ですが、何度確認しても納得できず(確認をすればするほど不安が増す)、一つの行為を完了するのに何分、何時間とかかってしまい、心身ともに疲弊するので、日常生活が困難になり、症状がひどい場合は外出すらできなくなってしまう方などもいます。

 

それまでは「極度の心配性なのでどうしようもない」と諦めていたのですが、そういう症状だとわかったことで「治る」という希望が持て、対処法も知れたことで、ひどかったころと比べるとずいぶんまし(100とすると10ぐらいにまでかな)になりました。


治療法は薬物療法認知行動療法などがありますが、わたしの場合、薬(SSRI)を飲むと気分が悪くなってしまうこともあり、自分でできる範囲の認知行動療法を実践していました。他にも、おなじ強迫性障害で苦しんだことのある方の本や、ブログを読んだことも大きな助けになりました。自分と同じような体験をしている人がいる、しかも治るんだ、と思えたことがすごく大きな救いでした。

 

なので、このブログでも同じように強迫性障害などで苦しんでいる方のために、自分の体験を書いていければと思っています。

 

 

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飛行機恐怖症

突然ですが、わたしは飛行機が怖いです。

 

海外に在住してると少なくとも年に1回は帰国する必要があったりするのですが、そのたびに死ぬ覚悟で乗っていました。

 

北米大陸のなかでもニューヨークは東海岸にあるので飛行時間も長くなります(14時間)。


けっこう地獄です。

 

飛行機は嫌いではないんです。

 

遠いところに旅するという感覚もウキウキするし、窓の外の景色はきれいだしすごく好きなのですが、

 

「墜落したらほぼ悪実に死ぬ」という恐怖がぬぐえず、


フライトチケットを予約した日には「あと〇〇日でわたしは死ぬんだ」とフライト当日まで地獄の日々が続きます。

 

飛行機は自動車などと比べて事故の確率は極めて低い乗り物と言われていますが、


確率がどれだけ低かろうが「落ちたら死ぬ」という事実がある限り、その恐怖はなくなりません。

 

アメリカの東海岸からはヨーロッパが近いのですが、飛行機が怖いため一度も旅行したことがありません。

 

飛行機に乗るのが怖すぎて、船で1か月ぐらいかけて帰国したこともあります(笑)
(ニューヨーク発アムトラックで→シアトル→バンクーバー→船でアラスカ経由→北海道(室蘭)着)

 

ずっと極度の心配性だと思ってたんですが、

 

「飛行機恐怖症」というのだそうですね。


著名人ではデビッドボウイもそうだったとか(船で来日とかも同じ!)。

 

わたしは「強迫性障害」もあるので、それとも関連しているのだと思います。

 

今ではいろいろな対処法も身に着けて何とかましです。

 

飛行機事故を題材とした映画などもハードな類のもの以外は観られるようにもなりました。

 

次回はその対処法について書こうと思います。

 

『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』 草薙龍瞬

おすすめ本の紹介です。

 

『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』
草薙龍瞬

 

日常で起こる嬉しいことや悲しいことに一喜一憂したことは誰にでもあるとおもいます。

 

良いことならいいですが、他人から理不尽に非難されたり、職場や家庭、学校などでの関係がうまくいかず、あまりうれしくない状況にあるとき、どういう姿勢でいればマイナスの感情にとらわれず(嫌な気分にならず)平穏に過ごすことができるのかが、わかりやすく書かれています。

 

『心の状態を「きちんと見る」』『「良い·悪い」「好き·嫌い」をやめる(ムダに判断しない)』『どんなときも自分を否定しない』など、人が悩んでしまう理由の一つは「判断しすぎる心」にあるとして、それを客観的に認識し、自分の心を外側から眺められるようになることで、ムダに嫌な気分に陥ることを防ぐことができるとしています。

 

『判断』とは、「最悪だ」「ついてない」「失敗した」などの落胆や失望から、「どうせ自分なんて」といった自虐、「うまくいかないのでは?」という不安、「こうでなければならない」「自分は絶対に正しい」といった思い込み、「自分はまだまだ」という自信のなさもすべて判断で、それは「完璧主義」や「頑張りすぎてしまう」人間を創り出してしまうとしています。

 

それらの『判断』は心の癖のようなもので、心を縛りつける『執着』の一種なので、知らず知らずのうちに一点だけを見つめすぎていた心に気付き、そこから一歩離れ外の世界を見渡してみることで「自分を否定する心」から自由になることができます。

 

他にも、「反応しないことが最高の勝利」「他人からの評価を追いかけない」「”快”を大切にする」など、お坊さんが書かれた本だけあって、釈迦やその弟子たちの教えを引用しながら、順を追って分かりやすく説明してくれています。

 

人間の頭の中には一日に七万回も思考が浮かんでは消えているそうですが、知らず知らずのうちに自分で勝手に『判断』してしまっている心の癖に気付くことで、毎日を前向きに、健康的に過ごしていきたいですね。

 

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責任感について(日本とアメリカの違い)

ニューヨーク在住の友人と話していたのですが、
日本人と欧米人の物事のとらえ方の違いについて、わかりやすい例がでました。

 

何かミスが起こったとき、

 

アメリカ=問題を他人のせいにして他人を責める 
◎日本=問題を自分のせいにして自分を責める

 

例:電車の遅延で待ち合わせに遅れた場合↓↓

 

アメリカ人=電車の遅延は自分のせいではないので謝る必要は感じない。
遅れたことをとがめられた場合は理由をしつこいくらい主張します。

 

◎日本人=時間を守れなかったこと、遅れによって相手を待たせてしまったことに対して自動的に謝る。

 

特にニューヨークは様々な国からやって来た人が集まっているため、「日本人とそれ以外のニューヨークに住んでいる様々な国の人たち」という比べ方になってしまいますが、ニューヨークでは、明らかに自分に過失がある場合以外は、自分を責めるモードには入りません。対して日本人は、自分のコントロールが及ばない範囲(電車の遅延や、待たせしまった相手の気持ち)にまで責任を感じてしまう傾向にあるように思います。

 

約束や時間を守れなかったことに対して必要以上に厳しい評価を下すのも日本人の特徴といえます。

 

日本では「自己責任」という言葉をよく目にしますが、それが日本人自らの首を絞めているように思える時があります。

 

 

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