LGBTQの方のカミングアウトを見て思うこと

最近、芸能人やセレブの方が自らの性自認性的嗜好をカミングアウトされるのをよくみかけます。彼らを見るとき、わたしは希望にあふれたような、心から応援したい気持ちになります。

 

セクシャルマイノリティではない自分がなぜそんな気持ちになるのだろうと考えてみたところ、それは「自分自身を自由に表現して生きる」ことを決意した彼らから勇気や希望をもらえるからだと気付きました。それは他でもないわたし自身がNYで学んだことでもありました。


日本ではセクシャルマイノリティの方々に対する理解はNYほど浸透していません。加えて日本では「こうでなければ」という無意識の制限がとても多く、「ふつう」「常識」「あたりまえ」という大多数のスタンダードから外れていると、「ふつうでない」とネガティブなイメージを持たれてしまう傾向があります。しかし、様々なバックグラウンドを持つ人々が共に暮らしているNYでは「ふつう」はほとんど存在しません。

 

そういった環境の中で過ごす毎日は、「こうあらねば」などの枠の中で判断を下されてしまうのが「ふつう」と思い込んでいた自分を開放してくれました。同時に、みんな違うけど、同じ。だから「自分もそのままでいい。自分のままで何の問題もない」という根本的な部分(自分を無条件に愛する、許す)に気付く(学ぶ)ことができました。

 

「ふつう」がないため「大人として」「社会人として」という概念も日本よりとてもゆるいです。そのぶん職場でも感情的に振舞う人が多いので、それに対処しなければならない大変さもありますが。体や心が弱くてもいい、「強くあらねば」と強くなることを強要されることもない。仕事で、勉強で、わからないことがあるからといって非難されることもない。困ってるときに助けられたらうれしいし、誰かが困っていたら助けようと思う。ひどいことをされたら悲しいし、自分も人にやさしくしようと思う。宗教や政治的なポリシーが違っていても、人間として根本的なところは同じ、なのでわかりあうことができる。そんな場所で長く暮らしていました。

 

あるときカザフスタン人のルームメイトが言いました。彼はゲイでしたが、「NYでは自分の国とは比べ物にならないほど自由を感じることができる」。アメリカでもLGBTQの人たちへの差別はあります。しかし同時にマイノリティの方々への理解も浸透しており日本よりもオープンな雰囲気があります。NYでは全米でも最大規模のLGBTQ権利擁護のためのパレード「プライドパレード」が毎年行われています。そこで彼らは、色とりどりのメイクや衣装に身を包んで思いきり自分を表現しています。そんな環境で暮らす中で、「ふつう」という概念はその土地にいるマジョリティ(大多数)の人たちが勝手に作り上げた妄想に近いものだと気付くことができました。

 

日本ではまだセクシャルマイノリティの方々に対する認識や理解はNYほど浸透してはいませんが、そんな中でカミングアウトをされる方々を見ると、すごく前向きで希望にあふれた気持ちにさせられます。日本もだんだんひとりひとりが自分のままで生きていける世の中に近づいてきているのだと感じます。

 

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